日本経済新聞で特集記事が連載されました。(総集編)

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心は通い合う

東京の特養ホームに住んでみる

認知症ケアの現場から

介護者が家族を施設に頼む理由の大半は「認知症で自宅介護は無理だから」である。日々の対応に戸惑い、疲労困憊(こんぱい)してしまう。そこで認知症ケアに真正面から取り組む最先端の施設「ありすの杜南麻布」に滞在し、密着取材を試みた。どうすれば認知症の人とともに暮らせるのか。「心を通わせ、普通の生活を」という平凡な答えにたどりついたが、その中身は濃く奥深い。

 

総集編

自由な運営 普通の暮らし

 看護師の土森美由紀さん(42)は、7年前に新生寿会本部の岡山県の施設に転職した。「運営があまりに現場まかせで自由なのに驚いた。こんな施設は見たことがない。入居者の朝食時間がバラバラですから」と振り返る。
 昨春開設したありすの杜南麻布でも現場重視は変わらない。特養の入居者は10人ずつ10ユニットに分けており、その独自性はかなりのものだ。
 開設前に各ユニットの担当者は施設長から「居間兼食堂で使う共用の家具や備品を自分で調達して」と言われ10万円を受け取った。職員は、リサイクルショップや港区が運営する不用品引き取りの「家具のリサイクル展」などに走り、収納棚やソファ、食器などをそろえた。「入居者の家族が持ってきてくれた」という年代物の食器棚が並ぶユニットもある。

 施設が用意するのはテレビや冷蔵庫、椅子、炊飯器、電子レンジくらい。だからユニットごとの今の雰囲気ががらりと違う。背の高い観葉植物、真っ赤なカーテン、足を投げ出せる座椅子など各ユニットの職員の思い入れが感じられる。
 早番、遅番、夜勤などの職員配置や勤務時間帯もユニットで独自に決める。三食のメニューは当番職員が冷蔵庫を開けてから考える。ケアの手法もユニット次第。必然的に5、6人の職員を束ねるリーダーの手腕が問われる。

 全国の6千を超える特養や高額な入居料金の有料老人ホームでもこんな運営法はまずないだろう。「なぜ」という疑問はすぐ解けた。理事の篠崎人理さん(62)の「全体がグループホームの集まりだと思えば」という説明である。
 認知症ケアの切り札として介護保険開始時に制度化されたのがグループホーム。「9人の入居者と共に自宅に近い生活を送る」のが基本。できるだけお年寄りの生活スタイルに合わせるから、それぞれ運営法は異なる。

 ありすの杜南棟は「認知症ケアに特化」とうたい、グループホームとほぼ同様の入居者ばかり。同じ手法をとるのが当然でもある。それも、本部指令でなく、現場の自発性を最優先し、お年寄りに合ったケアをしっかり根付かせようとしている。

「お年寄りのテーブル席は皆決まっています。食事やテレビを見るときはいつも同じ席に座る」と職員。昨春の入居時には大声で叫んだり、食事中も歩き回ったりしていたお年寄りが落ち着いてきた。家庭に近い小さなユニットだから、お年寄りは居場所が決まると気持ちが安定するようだ。起床から就寝まで自宅同様のマイペース。10時過ぎまでゆっくり朝食を味わう姿も珍しくない。催しもユニットごとで、うどん作りやお花見など独自に決める。

 南棟には特養のほか4、5階に介護付きケアハウスが4ユニット(定員38人)、1階にグループホームが2ユニット(定員18人)がある。共用の今の左右に居室が連なる間取りや職員の関わり方は特養と変わらない。訪れる視察者が「特養と区別できない」と首をかしげてしまうほどだ。
 そこで現行制度に問題があると気付かざるをえない。縦割りの制度しか念頭にない多くの事業者は3施設を別々の発想で造ってしまう。だが、お年寄りの状態はほとんど変わらない。入居者の症状に「忠実」だと同じような間取りや、対応になるわけだ。 問題はグループホームよりユニット型特養の介護報酬が低いこと。限られた収入の中で同様のケアをしようとすれば、職員の勤務状態に「厳しさ」が出てくる。

 グループホームの多くは夜勤者が各ユニットに1人だが、ありすの杜は2ユニットに1人しか配置できない。
 また、7時に出勤する早番職員から「てんてこ舞いの日がある」と嘆く声を聞く。帰宅する夜勤者と交代し、日勤者が来るまで1人ですべてをこなさなければならない。朝食の用意をしながら、各部屋を回ってお年寄りに起床を促し、着替えや洗面、トイレ介助などに追われる。部屋からの呼び出し音が鳴れば、小走りに飛んでいく。 その様子を見ていると、「よくやっているな」と感心する。今後、入居者の重度化が進めばより現場の負担は重くなる。制度のあり方が問われるだろう。

 

先駆者「きのこ」
スウェーデンに学び相互派遣

 「認知症ケアならきのこさん」。そんな評価が定着しつつある。
 「きのこ」とは、岡山県井原市木之子町で事業を始めた医療・福祉の「きのこグループ」のこと。医療法人きのこ会と社会福祉法人新生寿会が、病院や特養など16施設を岡山県と東京都内などで運営、ありすの杜南麻布南棟もそのひとつだ。

 医師の佐々木健さんと従兄弟で新生寿会理事の篠崎人理さんが、大学生時代に「老人のユートピアをつくらんか」と酒飲み話をしたのが始まりだった。
 医師を志していた佐々木さんは東大受験に2度失敗して鹿児島大学医学部に。「上昇コースからはずれたので、好きなことに専念しようと思った」と回想する。

 商社に就職した篠崎さんは「商品を売ることにどうにも納得いかなかった」と辞職。故郷に帰った2人が特養「きのこ荘」を建てたのが30年前の1981年だ。
 重度の認知症高齢者がどっと入所してきた。「先生、なんとかしてつかあさい」と懇願する家族たち。医療や福祉から見放されていた人を前に「少しでも手を差し伸べられれば」という熱い思いで、3年後に日本初の画期的な認知症専門病院を開設した。「常識外れ」という声があったが、大好きなビートルズの『イマジン』の歌詞、「僕は空想家といわれる」を自分たちに重ねたという。

 95年からスウェーデン通いを始める。職員の相互派遣を続け、生活重視の認知症ケアを学ぶ。「グループホームが最適と考えていたら、同じことを初めていた」

 コミュニケーション法として導入している「バリデーション」との出合いはスウェーデンの施設視察中だった。帰国後に篠崎さんが、米国人創始者の著書を翻訳、日本での認定法人の代表となる。

 

「目先の治療 間違いだ」

 岡山県笠岡市のきのこエスポアール病院で外来や入院患者を診ている医師の佐々木健さん(63)は毎月、ありすの杜南麻布にやってくる。
 「元気にしとるね」
 「表情がようなったわ」
 岡山弁丸出しの大声が響く。認知症の入居者に次々と笑顔で声をかけながらの回診だ。普段着で4階までぐるっと一巡する。「白衣がなくてもお年寄りとコミュニケーションがとれれば勲章ものだ」
 多忙な診療の合間をとらえ、認知症ケアへの医療の関わり方にいて聞いた。

 

医療機関で薬や拘束などの「過剰介入」をされた入居者の話をよく耳にする。
 「病気を対象にするのが医療だが、認知症は病気だけの問題ではない。医療は認知症に一部分、限定的にしか関われないと思う。不眠や怒りっぽい認知症の人を無理やり薬で抑え込み、目先の治療をする医療機関は多いが、それは間違いだ」
 「認知症の人は知的な能力は失われても、感情や心は確実に生きています。だから、あるがままのその人を受け入れて、コミュニケーションを上手にとれば、けったいな『問題行動』は起きないし、多くの問題行動はおさまっていく」

 「生活をともにし、暮らしを支えていく職員がいればいい。緊急時の薬は必要だが、毎日服用しても認知症には効かない。認知症は人間にしか対応できない。人が人に寄り添うようなケアをすべきです。最近、認知症への理解が深まりつつあるのはケアの進歩によるもので、医療ではない。医療はまだ問題行動にしがみついている」

認知症の人は、心が失われるとよくいわれる。「dementia」という英語は、まさにそうだが。
 「米国の研究者の発想ですね。脳を調べて気質障害の観点からしか見ない。ほかの病気と同じような狭い見方をする。英国の学者は逆に『rementing』(心の再生)と唱え、臓器にとらわれない考え方をしている」
 「認知症ケアは、本人をよく知って現状を理解することから始まる。本人のいらだちや苦しみを聞いて、不安を和らげ、安心や希望を持てるようにするのです」

医療にこだわる人たちは、エビデンス(科学的根拠)がないとして、今でも寄り添うケアを否定している。「とんでもない。病気にはエビデンスは必要だが、認知症ケアにあるはずがない。100人の認知症の人には、100通りのケアがある。人間はみんな違うんですから。認知症の医者の学会では相変わらず、数字を挙げていろいろ説明しているが、おかしなことをしていると思う。ケアと医学は違う」
 現代医療への批判がほとばしる。30年近く、認知症高齢者を診察し続けてきた医師の揺るぎない信念が感じられた。