日本経済新聞で特集記事が連載されました。(8)家族介護の経験 背中押す

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東京の特養ホームに住んでみる -8-

認知症ケアの現場から

家族介護の経験 背中押す

視線合わせ常に寄り添う

 「ばあちゃんにしていたことは間違っていたんだな、と思うようになった」

 ありすの杜南麻布で「しん」ユニットの職員、住谷恭弘さん(31)は、かつての自宅での家族介護を振り返る。大伯母が風呂に入りたいと言うと、周りは「さっき入ったばかりでしょ」と言い返していた。本人の言葉を否定するのは、「認知症ケアとしてまずいことだと知らなかった」。
 入居者10人ごとにユニットを構成し、共同生活を送るありすの杜。職員もユニットごとに6人が固定している。住谷さんはそのリーダーだ。
 東京育ち。「人と向き合う仕事が好き」で外資系のウェスティンホテル東京に入社。9年間勤めたが、「もっと人と関わりたくて」、2級ヘルパーの資格を取り4年前に新生寿会に転職した。
 中学生のころ母親が、祖母の姉の介護で髪の色が一変したのをよく覚えている。高校時代には祖母が入院。体をベッドに縛られ「外してくれ」と訴える声をいたたまれない思いで聞いた。
 このように家族介護を身近で見てきたことが、介護職への背を押した職員が意外と多い。
 「彩(いろどり)」ユニットのリーダー、楠渡(くすきわたる)さん(26)は、母と一緒に認知症の祖母の介護を体験。散らかった台所で夜通し座り込み、しかもあたりに尿臭が漂う光景も見てきた。
 山口県立大学社会福祉学部に進み、社会福祉士となる。
 彩には、対応の難しいお年寄りがいる。ユニット内をいつも歩き回っているAさん(81)は廊下にすぐ出てしまう。職員はよくつねられる。楠さんは傍らのお年寄りに食事介助をしながら、常にAさんの動きを視野に入れ、さらに、「私どうしたらいいの」などと声をかけ続けてくるBさん(85)にも、目をきちんと合わせて応える。
 一瞬も気を抜けない。その心構えを尋ねると「いつもお年寄りの側に立って考えています」と、当たり前のように答える。確かに介護の基本だが言行一致は難しい。
 このユニットで1月まで勤務していたのは大谷須美子さん(46)。ゴールドマン・サックス証券大阪支店長を4年間勤め、その前後を含めて20年近くを複数の外資系証券会社の第一線に立ってきた。3年前のリーマン・ショックで、「直感的に金融はもうだめ」と離職。認知症の母を介護していた父の手助けになれば、とヘルパー資格を取ったのが転身の契機だ。
 父が突然結核になったため退職したが、母の施設入居が決まれば復帰するという。今は大阪で週3回の透析に通う母の介護に追われている。
 「そら」ユニットの池田篤志さん(24)は、日本体育大学で体育教師を志望していたが就活中に進路を変えた。「認知症の祖父のことが頭から離れなかった」からだ。
 二世帯同居の祖父は食後すぐに「飯はまだか」と繰り返し、家族の間で「施設に入居してもらおうか」という話が出ていた。認知症ケアに取り組もうと、ネット検索で探し当てたのが新生寿会。「将来、両親の役に立てれば」という思いは変わらない。

家族介護者への支援

孤立しがちな介護者を手助けするNPO法人は「介護者サポートネットワークセンター・アラジン」(東京・新宿)。首都圏で介護者の集いなどを主催。認知症の家族団体「認知症の人と家族の会」(京都市)は、無料の電話相談を受けている。45都道府県に支部があり定期的な会合を持つ。