スウェーデン報告
スウェーデン研修報告 2014年9月
~豊かな心を学ぶ体験記~
「ジロール神田佐久間町 下村 一真」
2014年5月末より3ヶ月間、北欧のスウェーデンに訪れた。
僕がまず感じたのが、存在感である。大きな体と聞きなれない言葉、一人の小さな日本人。すっかり圧倒されてしまった。海外旅行の経験もあるにはあったが、意気込んでいた気持ちがウソの様に心細くなった。トイレに行くと便座が高く、176センチの僕の足がしっかり付かないほど。身長うんぬんではなく「小さい人間だなぁ」と思い知らされたのが、第一印象である。
スウェーデンの今時期はサマータイムといい、暗く、寒く、長い冬を過ごす人々にとって、待ちに待った夏。自然と外で過ごす時間が増え、体全身で太陽光を浴びるのである。
冬は元気の少ない方も、夏は明るく陽気で前向きになる方が多く、季節によって人々の表情や性格にも変化があるのも特徴の一つ。
国土は日本の約1.2倍、人口は約900万人、緑と水が本当に奇麗な国である。湖や池では泳いでる人にボートやヨットを楽しむ人、木々の木陰には日光浴をしながら読書を楽しむ。そんな光景が至る所で見られた。自分の時間を有意義にのんびりと使うのがスウェーデン流だ。
仕事は3カ所にて。ゴットランド島という小さな離島で一カ所と首都ストックホルムより鉄道で北に3時間ほどの位置にあるリンデスベリーで二カ所させて頂いた。
どこの建物も広大な敷地に奇麗な庭園、内装も施設とは感じられないほどモダンで北欧らしさを感じる事ができる。部屋は完全個室でシャワー、トイレ、洗面台が完備。キッチンがついている部屋もある。部屋の広さ、リビングの広さも日本の倍近くあるように感じた。国々によって、暮らす人によって住みやすい広さというのはあるが、ゆとりのある生活を送るにはある程度の広さは必要であり、広さとはある種ステータスであると思う。
お年寄りの過ごし方に特にスケジュールはなく、各々がのんびりとした時間を過ごしているようだった。テラスで日光浴しウトウトされる姿はすごく幸せそうに見えた。
また、スウェーデンはコーヒータイムを大切にする。起きたとき、毎食後、おやつ時にコーヒーや紅茶を飲んで一息つく。スタッフもお年寄りもこの時間は心が休まる。淹れたてのコーヒーの香りで嗅覚からも安らかな気持ちになるようだった。
天気のいい日はもちろん外で。テラスや離れの小部屋で皆同じときを過ごすのである。
地域の方、利用者家族の方が自然と集まる姿に地域の安心拠点であるのだと実感した。
施設に入所するのではない、自宅から引っ越しをするイメージなのだと教わった。
プライベートと仕事をきっちりわける文化の方達で割り切り方がすごくさっぱりしている。しかし、一回のコミュニケーションに注ぐ力は目を見張るものがあり、とても前向で、明るく声をかけ、ハグをする。自然にそれが出来てしまうのも欧米人ならでは。日本人(自分)はシャイで照れ屋なんだろう。と思う。
また、緩和ケアの実践が進んでおり、どこの施設にも実践者が数名いる。日常からマッサージなどで痛みの緩和、便秘予防に努め、気持ちの安心を与える事が大切なのだと感じた。
僕の英語力は小学生並みでスウェーデン語は初めて。道で話しているのがスウェーデン語なのか英語なのかもわからない状態で言葉の壁は想像以上に大きかった。日常のキャッチボールでも不自由が続き、聞きたいことも聞けない。聞いても理解できない僕は、一部メールでのやりとりを提案。ゆっくり翻訳する時間が持て、理解力も向上する。
また、スウェーデンでは少し年配のスタッフでもアプリを利用している方が多く、フェイスブック、インスタグラムなどのコミュニケーションツールには助けられた。互いの写真共有を容易に出来る面も良かった。今後の情報共有に活かせるものが出てくるかもしれないと思う。(東北の震災時にもメール、SNSなどの連絡経路がつながりやすかった等)
一人前とはとても言えない働きぶりではあったが、スタッフの暖かい指導と気遣いに助けられた。自分ができたことは本当に些細な事であったが、皆が僕を必要としてくれている気持ちが嬉しかったし、感動した。
研修会の参加や認知症の正しい理解推進運動への参加にも誘ってくれ、どれも貴重な体験をする事ができた。こういった素敵な出会いは終わりにするのではなく、これからに繋げていく事が大切であり、出会いをしっかりと育みたいと思う。
白夜という日照時間が長い季節は夜の10時になっても昼間のように明るい。初めて体験した僕は明るさと珍しさで寝付く事もできず、夜の太陽を見て夜な夜な散歩して過ごした。
一日の仕事が終わっても時間にゆとりがあり、自分のために使う事ができる。
自分の時間、家族の時間を削ってまで仕事に打ち込む勤勉体質の日本人には不思議な感覚であった。残業など殆どなく、残業をしていると逆に肩身が狭くなる。仕事と家の往復が身に付いてしまっていた僕には時間をどう使っていいのかわからなかった。
ホームステイの方たちも本当に温かく迎えてくれ、家族の一員として接してくれた。慣れない食生活や暮らしも苦にならぬよう、時々ホームパーティーやダンスクラブに誘ってくれ、休日は観光名所をドライブしたりサッカー観戦にも連れてってもらった。サウナに入って、暑くなったら海で泳いで熱冷まし、バギーでスウェーデンの大自然を走る、ブルーベリー狩り、ザリガニ釣り。どれも素晴らしい出会いと素晴らしい思い出である。
8月末に帰国し、日本に帰って来て、改めて認知症ケアとはなにか、幸せとは何かを考えている。まだ答えはでていないが…。
認知症の方が安心して暮らすには施設増加、システム構築だけではなく、支える人間も必要で大切なのである。今の介護現場の問題は深刻で、人員、時間、金銭共に余裕はない。スタッフがもっと心のゆとりをもって働く事のできる環境であれば、今以上に人に優しく温かい関わりができるはず。いいケア、実践ができれば自然と楽しいやりがいのある仕事になる。そうなれば人は集まってくるのだ。もちろん地域で支えていくことが重要なこれからの時代は地域住民の力が必要必須になってくる。正しい理解と迷惑がらない姿勢と協力そんな事が広まれば嬉しい。
どんな知識やスキルを持った人よりも、優しく、思いやりのある人にはかなわない。優しさと思いやりが何よりのスキルとなるのである。
そして人は何のために生きるのであろう。仕事のため。家族のため。自分のため。人それぞれではあるし、大切にしているものは違う。仕事に生きる事でステータスを感じる人ももちろんいるのである。僕はそんな全てを含め人生どう楽しく生きるか。そんな事をよく考えさせられた時間となった。
人は心の余裕を買わないといけないのだ。日本はどう生きるかにもがいている。これからはどう楽しく生きるかにもがくべきなのである。
最後になりますが、3ヶ月の期間、日本での準備期間から帰国までお世話になった福祉コーディネーターさん、温かく指導してくれたスタッフの皆さん、ホームステイ先の皆さん、スウェーデンで出会った友人の方々。本当にありがとうございました。
そして、行っている間支えてくれ、待っていてくれたジロールの皆様、ご家族の皆様、ただいま。